【体験談】大量化学療法と自家骨髄移植の記録|小児がん治療の山場

・大量化学療法って、これまでの抗がん剤とどう違うんだろう?

・自家骨髄移植って、実際どんなことをするんだろう?

・治療の副作用が一番辛かった時期はいつだったんだろう?

前回は、抗がん剤治療の第1〜4クールと、グループ3というリスク分類の告知についてまとめました。今回は、1月に行われた大量化学療法と自家骨髄移植、そして治療の中でも一番体調が揺れた時期の記録です。

この記事を読むと、大量化学療法と自家骨髄移植で実際に起こる副作用の経過と、乗り越えるための家族の工夫が分かります。同じ道を歩む方の、心の準備の一助になれば嬉しいです。

結論
  • 大量化学療法は、これまでの抗がん剤よりも体への負担が大きく出た
  • 自家骨髄移植を終えた瞬間、「とりあえず一区切りついた」という安堵感があった
  • 移植後の下痢・発疹・鼻血などの体調悪化が、このシリーズを通して一番見ていて辛い時期だった

大量化学療法がはじまる

結論から言うと、大量化学療法はこれまでの抗がん剤治療よりも一段階強い治療でした。がん細胞を徹底的に叩くために、通常よりも大量の抗がん剤を使う治療法で、その分、骨髄の機能も一時的に大きなダメージを受けます。そのため、あらかじめ採取しておいた娘自身の骨髄細胞を戻す「自家骨髄移植」とセットで行われる治療でした。

年末年始は家で過ごし、年が明けた2025年1月5日、娘は9時に入院。翌6日には、大量化学療法についての注意事項を妻と一緒に病院から説明を受けました。そして1月8日、今年初めての付き添い入院として、大量化学療法の抗がん剤投与が始まりました。それでも娘は思いのほか元気そうにしていて、拍子抜けするほどでした。

この頃には今までの抗がん剤の副作用で髪もほとんど抜け落ちていました

アイスパーティー ― 口内炎を防ぐための工夫

大量化学療法の副作用として、口内炎ができやすくなることを病院から説明されていました。そこで提案されたのが、投与前後になるべく口の中を冷やしておくという「アイスパーティー」です。アイスを食べながら口内を冷やすことで、口内炎のできやすさを和らげる狙いがあるとのことでした。

かなり緩和効果があったようで、娘は「おいしいおいしい」とハーゲンダッツを2個も平らげていました。遊びたくてグズる場面もありましたが、病室から出られない中でも、こうした小さなイベントが気分転換になっていたように思います。

アイスパーティー

自家骨髄移植、そして「一区切り」

1月15日からは、再び大量化学療法の投与が行われました。18日には下痢が5回続くなど、体への負担も見え始めます。

そして1月20日、自家骨髄移植が無事に終了しました。事前に採取・保存しておいた娘自身の骨髄細胞を戻すこの処置は、大きな山場の一つでした。当日は、手術の時のような張り詰めた緊張感というよりも、「抗がん剤の治療がようやく終わった」という、とりあえずの安堵感の方が大きかったのを覚えています。とりあえず一区切りついたな、という気持ちでした。

移植後の体調悪化 ― 一番辛かった時期

しかし、本当に大変だったのはここからでした。移植翌日の1月21日には下痢が悪化。そこから月末にかけて、下痢・体の湿疹・鼻血といった症状が次々と現れました。輸血を2回行った際には、アレルギー反応で40度の熱が出たこともありました。

一番辛かった時期

正直に言うと、この時期がシリーズを通して一番見ていて辛い時期でした。手術やグループ3の告知のような精神的な衝撃とはまた違う、目の前で子どもの体調が悪化していくのをただ見守るしかない辛さがありました。

それでも1月29日頃から症状は少しずつ落ち着きはじめ、31日には手をつなぎながらではありますが、病室内を歩けるまでに回復しました。

親として辛かったこと ― 曝露のリスクと完全個室生活

大量化学療法で使う薬は非常に強く、汗などの体液を通じて周囲の人にも影響が及ぶ危険性があると病院から説明を受けました。そのため、投与が始まってから2月22日まで、娘は完全個室で過ごすことになり、病室の外に出られない日々が続きました。

それまでの入院生活では、同じ病棟の子どもたちや親御さん同士のちょっとした会話が、娘にとっても私たち親にとっても気分の晴れる大切な時間でした。それが完全にできなくなったことは、身体的な副作用とはまた違う辛さでした。娘の笑顔を引き出してくれていた「人とのつながり」が絶たれてしまう、その静かな孤独感が、この期間で一番堪えたことだったように思います。

それでも何もせずに乗り切ったわけではなく、自宅にあるおもちゃを病室に持ち込み、少しでも家にいるような感覚を娘が持てるように工夫しました。ささやかな工夫でしたが、殺風景になりがちな個室の中で、娘の気持ちを支える一つの手段になっていたと思います。

まとめ

1月は、大量化学療法と自家骨髄移植という大きな山場を越えた月でした。移植そのものよりも、その後の体調悪化の方が家族としては辛い時期でした。それでも一つずつ症状が落ち着いていく様子に、着実に前に進んでいることを感じられた1ヶ月でもありました。

次回は、2月から4月にかけて行われた放射線治療28日間の記録をまとめます。

このブログでは婿生活のリアルや、生活改善に繋がる記事を発信予定なので参考にして頂けたら嬉しいです。最後まで読んで頂きありがとうございました。

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