【体験談】娘が1歳11ヶ月で小児がん(髄芽腫)と診断されるまで

・保育士さんに「歩き方がちょっと気になる」と言われたけど、これって病院に行くべき?それとも様子見でいい?

・子供の小児がんの告知って、実際どんな流れで、どんな言葉で告げられるんだろう?

・突然のことに直面したとき、頭が真っ白になったらどうすればいいんだろう?

「気にしすぎかな」と思いながら病院に行った先で、まさか脳腫瘍が見つかるとは思っていませんでした。

うちの娘は1歳11ヶ月の時に、髄芽腫(ずいがしゅ)という小児がんと診断されました。

この記事では、保育園での何気ない指摘から、がん告知を受けて病院での最初の夜を過ごすまでの数日間を、実際にあった通りに記録しています。

同じように「うちの子、ちょっと気になる」で迷っている方には検査を先延ばしにしない後押しに、告知を受けたばかりの方には「頭が真っ白になっても、なんとか一日ずつ乗り越えられる」という実例として、読んで頂ければ嬉しいです。

結論

些細な指摘でも「念のため」の検査は受けておいて損はない

保育園での指摘から、MRI検査へ

結論から言うと、「そのくらい大丈夫だろう」という指摘こそ念のため検査しておくべきです。

娘は1歳から歩き始め、言葉の発達も特に問題なく育っていました。2024年4月から保育園に通い始めて3ヶ月が経った頃、保育士さんから「他の子と比べると、歩行が少しふらつく時がある」と言われました。

かかりつけの小児科に相談したところ、「1歳11ヶ月ぐらいならその程度のふらつきがある子もいるけど、念のため近くの病院でMRIを撮ってみますか」との診断。7月2日のことでした。

「子供医療費もかからないし、念のため撮って何もなければ安心。行ってみようか」

その程度の軽い気持ちで、紹介先の病院でMRI検査を受けることになりました。予約が取れたのは7月11日。正直、そこまで心配はしていませんでした。当日は妻と娘の二人で病院へ。私はというと、いつも通り仕事で外回りをしていました。

妻からの電話、頭が真っ白になった瞬間

2024年7月11日、15時15分、妻から電話がありました。

普段、仕事中の妻からの連絡はメッセージだけです。何もなければ帰宅後に話すはず。その電話の時点で、何かを察知しました。

恐る恐る電話に出ると、暗く沈んだ声でこう言われました。

「頭に4センチの大きさの、髄芽腫っていう脳腫瘍が見つかった。がん専門の病院に救急搬送することになる」

言葉は聞き取れているのに、脳の処理が追いつかない。徐々に体の奥底が熱く煮え立つのを感じ、心臓の鼓動で体が震えました。すぐに車に飛び乗り、法定速度を完全に無視して病院へ向かいました。

救急搬送、そして髄芽腫の告知

病院に着くと、娘は検査で疲れたのか、診察室前のソファで妻に抱かれて眠っていました。私が代わって抱っこすると、妻は糸が切れたようにその場でへたり込みました。一人で告知を受けた妻の心情は、私には計り知れません。

言葉を発せないまま少し時間が経った頃、「救急搬送の手配ができた」と案内がありました。娘は再び妻に託して救急車へ、私は自分の車でがん専門病院に向かいます。車で1時間ほどの道のり、一人の車内では何も考えられず、ただ黙々とハンドルを握っていました。

病院で改めて担当医から説明を受けた内容は、次の通りです。

  • これから精密検査を行うが、高確率で髄芽腫であること
  • 遺伝的な要因も考えられるため、親族に脳腫瘍を患った人がいないか確認されたこと(該当なし)
  • 症状はまだ軽く緊急手術の必要はないが、手術をしなければ命に関わること
  • このまま入院となり、しばらく自宅には戻れないこと
  • 付き添い入院が必要なこと

一旦荷物を取りに、寝ている娘を病院に預けて夫婦で帰宅。車内で、脳腫瘍がわかってから初めてまともに会話をしました。

髄芽腫とはどんな病気か

このブログは私個人の闘病記録であり、医学的な診断や治療方針をアドバイスするものではありません。病気について正確な情報が必要な方は、必ず主治医や専門機関にご確認ください。

「髄芽腫」という病名を初めて聞いた方も多いと思うので、簡単に触れておきます。小児がんの臨床研究を行う専門機関「小児がん研究グループ(JCCG)」の解説によると、髄芽腫は小脳と呼ばれる後頭部の部位に発生する悪性脳腫瘍で、乳幼児に多く見られる病気とのことです。小脳はバランス感覚を司る部位のため、うちの娘のように歩行のふらつきが最初の症状として現れることがあるそうです(出典:JCCG「脳腫瘍:髄芽腫」)。

また、国内の年間発生数は100人弱、好発年齢の中央値は4〜5歳とされ、成人での発生は1割程度という報告もあります(出典:日経メディカル)。治療は手術・放射線治療・化学療法を組み合わせて行われるのが一般的とのことで、実際に娘もこの後、同じ道をたどることになります。

夫婦で決めた「娘の前では泣かない」というルール

この日、私たち夫婦は一つのルールを決めました。「娘の前では泣かない」というルールです。

23時、一旦帰宅。今日は妻が付き添うことになり、二人で協力して入院の荷物をまとめました。娘の着替えを準備していると、自然と涙がこぼれ落ちました。妻も堰を切ったように泣き出しました。ずっと気を張っていた私たちが、そこで初めて「娘が脳腫瘍である」ことを受け止めたのかもしれません。

泣きながら抱き合い、そこでルールを決めました。一番泣きたいのは娘本人のはず。親が弱気になっていたら、一緒に戦えないと思ったからです。

再び病院へ向かう車内では、今度は涙もなく「これからどう困難に立ち向かうか」を話し合いました。とはいえ、告知からまだ8時間しか経っていない私たちに、結論などまだ出せるはずもありませんでした。

病室は4人部屋。娘はずっと眠り続けていて一安心。妻と荷物を運び、寝ている頭を撫でて帰路につきました。帰宅は深夜2時。片道1時間の道を2往復して疲れていたはずなのに眠れるはずもなく、病気について調べては不安が募る一方でした。久しぶりに少しお酒を飲み、ようやく眠りにつくことが。

会社と保育園への報告

休職の可能性がある報告は早めに、直接伝えるのがお勧めです。理解を得られやすくなりますし、自分自身の覚悟も決まります。

翌日は仕事をする気になれず、有給を取得。面会時間の13時までに、自分にできることをやることにしました。

会社にはどこまで伝えるか悩みましたが、付き添い入院で休みがちになることを見越して社長に直接報告することに。社長室で「娘が脳腫瘍になりました。会社を休むことが多くなります。最悪、辞めることになるかもしれません」と、丁寧に、でもボロボロ泣きながら伝えました。社長も子を持つ親として理解を示してくれて、以降の欠勤は有給ではなく特別休暇扱いにしてもらえることになりました。

その足で保育園へ。妻から報告済みでしたが、預けていた荷物を引き取りに向かいます。保育士さんが「病気が治ったら、また園のみんなと遊びましょうね」と声をかけてくれて、また涙が出そうになりました。歩行のふらつきを指摘してくれたおかげで病気を発見できたこと、心からお礼を伝えました。

入院生活を少しでも楽しくと、これまであまり触らせてこなかったiPadを購入。アンパンマンやしまじろうを観られるように設定して病院へ向かいました。

病室に着くと、同じフロアには他にも子どもたちが何人か入院していました。年長で11歳、年少で3歳。娘が最年少で、みんなに可愛がってもらえました。すでに頑張っている子どもたちを見て涙が込み上げましたが、なんとか堪えました。小児がんは、自分が知らなかっただけで決して珍しいものではないのだと思い知らされました。

神頼み ― 神社へ

私は正直、これまで神頼みというものを信じてこなかった人間です。初詣にも行かない、厄年も気にしない。「お願いしなかったから失敗した」なんてあり得ないと思っていました。

それでも今回ばかりは、藁にもすがる思いで動きました。地元の神社が「がん封じ祈願」で有名だと知り(地元なのに全く知りませんでした)、向かうことに。

日曜日で境内は人でいっぱい。娘の名前や生年月日、病院名、主治医の名前を記入し、受付を済ませます。「がんを患っているのは1歳の娘さんで間違いないですか」と2度確認されました。それだけ珍しいケースだったのでしょう。

祈願を終え、お守りをいただいて病院へ。面会時間の30分で娘に会いましたが、見た目は発症前と何も変わらず、本当に病気なのかと改めて驚かされました。

まとめ

保育園でのちょっとした指摘から始まり、わずか数日で娘の入院生活がスタートしました。振り返ると、あの日「念のため」MRIを撮る選択をしていなければ、と思うとぞっとします。

もし今、お子さんの些細な違和感に「気にしすぎかな」と迷っている方がいたら、迷わず検査を受けてほしい。そして、もし告知を受けたばかりの方がいたら、頭が真っ白になっても大丈夫です。目の前のことを一つずつこなしていけば、少しずつ前に進めます。

次回は、初めての付き添い入院生活と、手術までの日々の記録をまとめます。同じ病棟で出会った子どもたちのこと、坊主にした話など、告知直後とはまた違う葛藤があった時期です。よろしければ続けてご覧ください。

このブログでは婿生活のリアルや、生活改善に繋がる記事を発信予定なので参考にして頂けたら嬉しいです。最後まで読んで頂きありがとうございました。

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