【体験談】小児がんの抗がん剤治療、副作用と入院生活のリアル(第1〜4クール)

・抗がん剤治療がはじまると、子どもの体にはどんな変化が起きるんだろう?

・脱毛や嘔吐、食欲不振って、実際どれくらい辛いものなんだろう?

・長い入院生活の中で、家族の心はどう保てばいいんだろう?

前回は、手術とICUでの2日間の記録をまとめました。今回は、手術後に始まった抗がん剤治療の第1〜4クール、8月から12月にかけての日々です。

この記事を読むと、小児がんの抗がん剤治療で実際に起こる副作用の経過と、長期入院を乗り切るための家族の工夫が分かります。同じ道を歩む方の、心の準備の一助になれば嬉しいです。

結論
  • 抗がん剤の副作用は、嘔吐・食欲不振・脱毛と、目に見える形で少しずつやってくる
  • 同じ病棟の家族との交流が、長期入院を乗り切る大きな支えになった
  • 外泊できる日をうまく使い、日常を取り戻す時間を作ることが大切

病棟で迎えた2歳の誕生日、そして化学療法がはじまる

結論から言うと、抗がん剤治療は「始まってすぐ辛い」というより、少しずつ体に変化が現れてくるものでした。

8月9日、娘は病棟で2歳の誕生日を迎えました。看護師さんや同じ病棟の子どもたちにお祝いしてもらい、いつもより賑やかな一日に。手術からまだ1ヶ月も経っていない時期でしたが、笑顔で誕生日を迎えられたことに、ただただ安堵しました。

そして8月20日、いよいよ化学療法がスタートしました。最初のうちは思ったより元気で、拍子抜けするほどでした。ただ、日を追うごとに食欲が落ちたり、機嫌が悪くなったりと、少しずつ体への負担が見えてくるようになります。

(参考)我が家の治療記録

以下は我が家の治療記録です。治療内容は病状やリスク分類によって大きく異なるため、あくまで我が家の一例としてご覧ください。同じ病気のご家族の情報収集の一助になれば幸いです。

  • 特定臨床研究「MB19」に参加
  • 2024年8月21日〜9月29日:レジメンAM①
  • 2024年9月24日〜10月16日:レジメンAM②
  • 2024年10月22日〜11月15日:レジメンBM①
  • 2024年11月19日〜12月18日:レジメンBM②

仕事が忙しくて面会に行けない日は、後ろめたさを感じながら過ごしたり。仕事と看病のバランスを取るのは、思っていた以上に難しいものでした。

坊主頭の家族、そして脱毛のはじまり

手術前、私は「娘もいずれ髪が抜けるだろう」と先回りして坊主にしていました。8月末頃、実際に娘の髪が抜け始めます。最初は少しずつ、やがてお風呂に入るたびにごっそりと。

娘はまだ2歳だったこともあり、脱毛そのものは特に気にしている様子はありませんでした。それでも、抜けた髪を片付ける立場の私は、そのたびに胸を締め付けられるような気持ちになりました。

同じ病棟の子どもたちも、同じように少しずつ髪が抜けていく姿を見てきました。新しく入院してきた子が、髪の抜けた娘たちを見てどう感じるだろうかと、親としてふと切なくなる瞬間もありました。それでも娘自身は、周りの子どもたちとすぐに馴染み、プレイルームで一緒に遊んだり、かくれんぼをしたりして過ごしていました。

同じ境遇の親御さんとの支え合い

この頃から、病気の子どもを持つ他の親御さんたちとは、できるだけ話すようにしていました。友人にも病気のことは話していましたが、やはり同じ境遇の親御さんとでは共感の度合いがまるで違います。言葉に出さなくても、心の中で「一緒に頑張りましょう」と思いながら過ごしていました。

70日ぶりの外泊、そして日常のありがたさ

初めての外泊許可が降りたのは9月19日のことでした。7月11日の入院から数えて、実に70日ぶりに病院の外に出られた娘。どこか特別な場所に出かけたわけではなく、家で好きなおもちゃで遊んだり、お互いの両親が顔を見に来てくれたり、ごく普通の一日を過ごしただけでした。それでも、家族3人が家にいるというだけのことが久しぶりすぎて、「日常って、こんなに尊いものだったんだ」と改めて思い知らされました。

その後も、抗がん剤治療の合間には外泊が許可される時期がありました。家に帰って公園で遊んだり、ショッピングモールへ買い物に行ったり、久しぶりの焼肉パーティーをしたり。

10月末には、病棟でハロウィンパーティーが開かれました。娘も仮装をして参加し、看護師さんや同じ病棟の患者さんからお菓子をもらって、大喜びしていました。抗がん剤の影響で食欲がない日が続く中でも、こうした行事の日だけは娘の表情が少し明るくなるのが分かりました。

「グループ3」という現実 ― リスク分類の告知

11月中旬には2泊3日の外泊がありました。紅葉した公園で遊んだりと、束の間の日常を家族で味わいました。

しかし11月18日、病理検査の結果を聞くために病院を訪れた私たちに、これまでとは違う重さの告知がありました。娘の髄芽腫は、遺伝子タイプによる分類で「グループ3」に当たるとのことでした。電話越しに妻と、声を上げて泣きました。

以下は制度・医学情報であり、個人の病状に対する助言ではありません。

髄芽腫は近年、遺伝子の特徴によって「WNT群」「SHH群」「グループ3」「グループ4」の4つに分類されることが分かってきています。専門機関の解説によると、この中でグループ3は他の群と比べて悪性度が高く、髄液を介して転移しやすい傾向があるとされています(出典:京都大学医学部附属病院 脳神経外科「髄芽腫」)。

告知を受けた時点では、正直「グループ3」という言葉の重みを受け止めきれませんでした。それでも、目の前にある治療を一つずつこなしていくしかない。そう自分に言い聞かせて、次の治療に向き合うことになります。

病棟で過ごしたクリスマス

12月に入ると、娘は第4クールの抗がん剤治療に入りました。病室にはクリスマスツリーが飾り付けられました。ほとんど病院の中だけで過ごす毎日でしたが、こうしたイベントのおかげで季節感を感じられたのは、家族にとってもありがたいことでした。

一方で、抗がん剤の影響による嘔吐や食欲不振はこの時期も続いていました。仲の良かった子が退院していく寂しさと、新しい子との出会いを繰り返しながら、年末に向けて4クール目を乗り越えていきました。

まとめ

8月から12月にかけての4クールは、副作用と向き合いながらも、病棟での人とのつながりに支えられた日々でした。同じ立場の家族と過ごす時間、外泊で取り戻す日常、季節ごとの行事。どれもが、長い治療生活を乗り切るための大切な支えになっていたと感じます。

次回は、1月に行われた大量化学療法と自家骨髄移植の記録をまとめます。

このブログでは婿生活のリアルや、生活改善に繋がる記事を発信予定なので参考にして頂けたら嬉しいです。最後まで読んで頂きありがとうございました。

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