娘ががんになりまして【1日目】

7月11日 1日目

娘ががん宣告をされた。
娘が歩き始めたのは1歳からで、言葉を覚えたり話したりするのも何ら問題なくできていました。

4月から保育園に通い始めて3ヶ月。
保育士さんから「他の子達と比べるとちょっとだけ歩行がふらつく時がある」と言われたので、かかりつけの小児科医に一度診てもらうことに。
娘は1歳11ヶ月なので「それぐらいの歩行のふらつきはある子はいるけど、一度近くの病院でMRIを撮ってみますか?」との診断を7月2日に受けました。
「子供医療費でお金掛からないし念の為MRIを撮って何も無ければ安心だし、行ってみようか」とそんなに心配はしていませんでいた。
娘は午前中だけ保育園に登園して、妻と一緒に二人で病院に向かいました。
その頃私はというと、そんなに心配することないと思っていたのでいつも通り仕事で外回りをしていました。

15時15分
妻から電話があり、何かを察知しました。
仕事中に妻から連絡が来たとしても普段はメッセージだけだし、何も無ければ帰った時に話すだろうと。
恐る恐る電話に出てみると暗く沈んだ声で
「頭に4センチの大きさの髄芽腫っていう脳腫瘍が見つかって、がん専門の病院に救急搬送することになる」
聞き取れたけど、脳の処理が追い付かなくて気が遠のいていきました。
徐々に体の奥底が熱くに煮立つのを感じ、心臓の鼓動で体が震えた。
すぐに車のハンドルを握り、法定速度を完全に無視して病院へ向かいました。
救急搬送前に病院に到着。診察室の前のソファで娘は検査で疲れたのか妻に抱かれて寝ていました。
妻に代わって私が寝ている娘を抱っこすると、妻は糸が切れたかのようその場でへたり込みました。
一人で説明を受けた妻の心情は私には計り知れませんでした。
私も妻も喋ることができずに少し時間が経った頃、診察室から医師と看護師が出てきて「救急搬送の手配が出来た」と案内を受けました。
寝ている娘を再度妻に託して二人は救急車に、私は自車で病院に向かうことに。
救急搬送先のがん専門病院まで車で1時間程でしたが、一人の車内では何も考えることができずにただ黙々と目的地に向かっていました。
がん専門病院に到着し、受付を済ますと先に到着している妻と娘と合流。
既に診察も済んでいて、担当医の説明を妻と改めて受ける。

これから精密検査を行うが、高確率で髄芽腫。
水頭症を併発している為、なるべく早めに手術が必要。
このまま入院して、しばらく家には帰れない。
看護師はいるがずっとは見ていられないので、どちらかが付き添い入院して欲しい。

慣れないことが多かった為か既に寝ている娘をそのまま病院に預け、荷物を持ちに私と妻で一旦家に帰ることに。
帰る車内で娘が脳腫瘍と分かってから初めて妻と会話。
これまでのこと。今日のこと。

23時一旦帰宅
付き添い入院は一人だけなので今日は妻が泊まることになり、妻と協力して荷物をまとめる。
娘の着替えを準備をしていると自然に涙がこぼれ落ちた。妻も堰を切ったように涙が流れ出している。
ずっと気を張っていた私たち夫婦がそこで初めて娘が脳腫瘍だと受け止めたのかもしれません。
そこで妻と泣きながら抱き合い、一つルールを決めました。
「娘の前で泣かない」
一番泣きたいのは娘本人だろうし、親が弱気になっていたら一緒に戦えないぞと。

再び病院に向かう車内で妻と会話。
これからのこと。
この時、涙は無くこれからどうこの困難に立ち向かうかを話し合いました。
しかし、がん宣告されてからまだ8時間しか経っていない私達には結論など出るはずもなく病院に到着。

病院に到着し看護師さんの案内で病室へ。
4人部屋だったので娘がうるさくしていないか心配でしたが、ずっと寝続けているとのことで一安心。
起こさないように妻と荷物を病室に運んで、寝ている娘の頭を撫でて私は帰路に。

26時帰宅
一人の自宅はとても静かで寂しい。
片道1時間の道のりを2往復して疲れもあったが、眠れる筈もなく病気について調べ始める。
調べるほど不安が募る一方なので辞めて、久しぶりに飲酒をしてみる。
朝から何も食べていなかったせいか、酔いが回ってやっと眠れそうになり意識を飛ばすようにこの日は就寝。

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おすね
埼玉出身埼玉在住の1990年生まれの34歳。2020年に結婚し、婿入り。好きなものは猫と深夜ラジオと無駄を減らすこと。嫌いなものはパリピと行列に並ぶこと。仕事と育児のスキマ時間で副業挑戦中。